【今更解説】本能寺の変 ― 黒幕は誰だ?

kamon History

序章 炎に消えた天下人

1582年6月2日、京都・本能寺。明智光秀の軍勢が寺を包囲し、織田信長は自ら命を絶った。時に49歳。天下統一を目前にした男の最期は、日本史最大の謎として語り継がれている。

本能寺の変――。その出来事は単なる謀反ではなく、背後にいくつもの「黒幕説」を生み出してきた。豊臣秀吉、徳川家康、朝廷、イエズス会、果ては南蛮の陰謀まで。歴史の影に潜む思惑が、信長の死をめぐる数百年の議論を生み出してきたのだ。

では、信長を討ったのは誰の意思だったのか?光秀一人の決断なのか、それとも巨大な権力の思惑が交錯した結果なのか。史実と伝説の狭間を読み解いてみよう。


第一章 謀反の朝

1582年6月1日、信長は安土城を出て京都に向かった。毛利攻めを続ける羽柴秀吉を援護するため、中国地方への出陣を計画していたのだ。信長は護衛も少なく、本能寺に宿泊していた。

そして翌未明、光秀の軍勢1万3千が突如として本能寺を襲撃する。「敵は本能寺にあり!」という叫びとともに炎に包まれる寺。信長は抵抗したが多勢に無勢、ついに自刃した。

この一連の出来事は、あまりに急で、あまりに不可解だった。信長に恩義あるはずの光秀が、なぜ主君を裏切ったのか。その問いが後世の想像をかき立てた。


第二章 怨恨説 ― 光秀の個人的動機

最も単純で分かりやすい説は「怨恨説」だ。信長は苛烈な性格で、家臣たちに対してもしばしば苛酷だった。光秀も例外ではなく、叱責や領地の削減を受けていた。

また、秀吉や家康に比べて冷遇されているとの不満もあったとされる。光秀が「恨みを晴らすために信長を討った」という説明は理解しやすい。しかし、この説だけでは「天下人を討つ」という巨大な決断の理由としては弱い。怨恨だけで国家の秩序を覆すのか?後世の歴史家は疑問を抱いた。


第三章 黒幕は秀吉か?

光秀を討った後、最も得をしたのは誰か?答えは秀吉である。信長の死を知るや否や、中国大返しで京に急行し、山崎の戦いで光秀を討ち取った。そして信長亡き後の権力を掌握し、最終的に天下人となった。

「本能寺の変は秀吉の仕組んだ罠だった」という説は自然に生まれた。光秀を挑発し、謀反を起こさせ、利用して潰す。そうすれば自らが信長の後継者となれる。

だが、この説を裏付ける直接的な証拠は存在しない。秀吉が偶然を利用したのか、周到に仕組んでいたのかは今なお不明だ。


第四章 徳川家康の関与

もう一人の「得をした男」が徳川家康だ。信長の死によって独立性を保ち、最終的に江戸幕府を開くことになる。

本能寺の変当時、家康は堺見物の途上にあり、信長からの援護を受けていた。だが信長が急死し、家康は伊賀越えで命からがら三河へ脱出する。この行動が「計画の一部ではなかったか?」と疑われたのだ。

家康黒幕説はロマンがあるが、状況証拠以上のものはなく、むしろ危険に晒された家康が本当に仕組んだのかは疑問視されている。


第五章 朝廷と公家の影

もう一つの黒幕候補は朝廷だ。信長は比叡山焼き討ちに象徴されるように、既存の宗教や権威を徹底的に破壊した。朝廷にとって信長は危険な存在であり、排除の対象だった可能性はある。

光秀は公家との関わりが深く、文化人としての一面を持っていた。朝廷からの密命を受けて信長を討った、という説もある。ただしこれも裏付ける記録は少ない。


第六章 イエズス会と南蛮勢力

都市伝説的に語られるのが「イエズス会黒幕説」である。信長はキリスト教を庇護していたが、同時に彼の力が強大になりすぎることを警戒する南蛮勢力が存在したとする説だ。

特に鉄砲や南蛮貿易をめぐって、信長と宣教師たちの関係は微妙だった。もし信長が日本を統一し、南蛮勢力を排除したら――。イエズス会やポルトガルが介入した可能性は?こうした推測は歴史ロマンとしては魅力的だが、史実の裏付けは薄い。


第七章 光秀は生き延びたのか?

さらに伝説を膨らませるのが「光秀生存説」だ。山崎の戦いで敗れ、落ち武者狩りに討たれたとされる光秀。しかし「実は生き延び、南光坊天海として徳川幕府を支えた」という説が江戸時代から語られている。

天海は徳川家康に仕えた高僧で、江戸の都市計画に深く関わった人物。光秀と同一人物とする説はロマンに満ちており、本能寺の変の「真の意味」をさらに神秘化した。


終章 謎は誰のために

本能寺の変から400年以上が経つ。歴史学的には「光秀の独断的な謀反」とされることが多いが、黒幕説は尽きることがない。

なぜか。それは「信長」という人物が、あまりに特異で、あまりに劇的な最期を遂げたからだ。人は納得のいく説明を求め、やがてそれが物語を生む。

光秀の裏切りは一人の武将の決断だったのか、それとも巨大な権力の謀略だったのか。真相は永遠に謎のままだ。だがその謎こそが、本能寺の変を「歴史最大の都市伝説」として生かし続けているのだ。

タイトルとURLをコピーしました